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歴史の要所に語られているアロマテラピー(2)日本における香り文化



アロマテラピー

 

以前は、古代・中世におけるアロマの歴史について、また、現代におけるアロマの日本への普及についてお話しました。
アロマが日本に普及し始めたのは1980年代前半だと申し上げましたが、これはあくまでも精油による代替医療やマッサージなどの方法や概念が広まったというわけで、香りという概念は日本でも古くから存在します。

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アロマテラピーの歴史(1)古代・中世
アロマテラピーの歴史(2)日本

 

 

1.日本書紀に登場する香り

日本最古の「日本書紀」という歴史書の名前を聞いたことのある人は多いでしょう。
歴史の授業では必ず登場したワードですよね。
この歴史書は奈良時代に成立し、内容は神代から持統天皇までの時代について記述されています。

 

この歴史書の中で、聖徳太子の一生を綴った「聖徳太子伝歴」の中にこのような話があります。
推古天皇の時代、土佐の沖合で毎夜雷雨が発生し、淡路島に大木が漂流されました。
島民がその大木を薪として火にくべたところ、高貴な香りが立ちこめたといいます。
驚いた島民はその大木を朝廷に献上します。
この大木を見た聖徳太子は「これこそ沈水香だ!」と喜び、この大木を使った仏像を刻み吉野の寺に安置する運びとなりました。

この記述が香りに関する初めての記述だとされています。また、同時に香木が日本に伝来したことを伝える内容とも言われています。香木は熱帯雨林の地域で生息するもので日本では生育できないものだったのです。

 
ちなみに聖徳太子の登場する時代は飛鳥時代です。
この時代は日本に仏教が伝来した時代でもありました。古代エジプトでも宗教儀式に香りが使われるとお話ししましたが、仏教でも香りという概念は存在します。葬儀で参列者が亡くなられた方に対して供養する焼香というのが一番わかりやすい例でしょう。
このように飛鳥時代は仏教の伝来とともに香りの文化が日本に根を下ろした時代でした。

 

 

2.日本での精油生産はいつ頃から?

日本国内でも精油が生産されていることは以前お話しました。
しかし日本ではいつ頃から精油の生産が行われたのでしょうか。

 
香り文化が定着した飛鳥時代から一足飛びになってしまいますが、それは江戸時代といわれています。

 
江戸時代に広く利用されたものに「ランビキ」という蒸留器があります。
ランビキとは3段構成となっており、最下部が原料と水を入れて加熱する装置、最上部には冷水が入っており、加熱されて水蒸気とともに上昇してきた精油成分を冷却し、霧として中段にためていき管を通って容器に流れ込む仕組みです。精油の生産の他、蒸留酒の製造にも使われたそうです。

 
しかしこのランビキという装置は江戸時代で広く使われていたという事実だけが残っているだけで、実はいつ頃から使われ始めたのか未だに謎なのです。
ランビキそのものが日本で作られたものなのか、他国から伝わったものなのかさえわかっていません。
日本でいつ頃から精油の生産が行われたのか、という冒頭の疑問は結局のところ未だに不明なわけです。

 
もしかすると江戸時代より以前の時代から使われていたのかもしれません。
ちなみにランビキは当時贅沢品でしたので一般庶民に広まったわけではなく、上流家庭の茶席などで使用されていました。

 
日本での香りや精油生産にまつわる歴史は主に上記2点ですが、日本の伝統芸道の一つに香道というものがあります。平安時代になると香木は宗教儀式を離れ、香りを鑑賞するためのものとなりました。これが香道の始まりです。香道においては香りは「聞く」という表現をします。
現代のアロマとは形こそ違えど、大昔から我々日本人は香りを楽しんでいたのですね。

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