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日本で初めての香水は?歴史の中に登場する香りの話と「禅」



織田信長と香水の意外なお話

桜
 
織田信長は、戦国時代の武将です。
彼は、尾張地方の織田家の嫡男として生まれました。
その当時、織田家は、戦国大名の中でも小さい家でした。下手をすれば、すぐに他国に滅ぼされてしまうかも知れないほどマイナーな大名だったのです。
なにしろ、武田信玄や上杉謙信など、そうそうたる大名が、日本中にいたのですから。


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しかし織田信長は、独特の個性で、メキメキと頭角を現しました。
先ずは、尾張を統一し、最強大名の1人といわれていた今川義元を倒したのです。
そして、西の方へ勢力を広げて、室町幕府を滅亡させる。一方では、武田信玄亡き後の武田家を滅ぼす。ついには、中国から九州へと侵攻を続けたのです。

織田信長の「独特の個性」とは、行動力と創造力です。
「行動力」とは、悪い言葉で言えば、ワンマン。自分1人ですべてを決めて、部下を自在に動かすのです。部下からみれば、たまったものではありませんわ。
当代随一のインテリであった明智光秀は、耐えきれなくなって、とうとう反逆したのでした。

で、何故、織田信長が香水や香りのお話と関係するのか、なのですが。
織田信長は、日本で初めて香水を付けた人物ではないのか、と思うのです。

教科書的な説明では、香水が日本に入ったのは明治時代です。
文明開化のとき、西洋から多数の文物がもたらされました。その中に香水があったのです。
舶来の、最高におしゃれなファッションアイテムとして、上流階級の間で、あっという間に流行しました。
鹿鳴館の舞踏会では、夜会巻きの髪型に、バッスルスタイルのスカート、クジャクの羽の扇を持った淑女や令嬢が、香水を付けていたのです。

しかし、明治時代より300年前にも、西洋の文物が入ってきています。
戦国末期、宣教師たちが日本へ来ました。彼らの目的は、もちろん布教です。
でも、そのデモンストレーションの一環として、西洋の文物を権力者へプレゼントしました。
その中に香水があっても、おかしくはありません。
織田信長は、ものすごい「創造力」を持っていました。創造力の元は、好奇心です。つまりは、新しもの好き。
織田信長が、宣教師からプレゼントされた香水を、さっそく使ったというのは、十分考えられることなのです。

 

香木・蘭奢待のお話

今から1300年ほど前のことです。
光明皇后が、聖武天皇の遺愛品を正倉院に収めました。
その中に、黄熟香という香木がありました。

後になって、この香木は蘭奢待と呼ばれるようになりました。
東大寺の知恵のある僧侶が改名したのだそうです。
蘭奢待とは、何だかものものしい名前ですが、これには意味があります。
「東」、「大」、「寺」の3文字を隠した名前にした、というのです。
もっとすごい説があります。
蘭奢待の「蘭」から、草冠を取ると、「闌」で、これは荒々しい、という意味です。「奢」は、おごるという意味です。「待」は、侍より、さらに猛々しい。
つまりは、強欲な権力者が蘭奢待を欲しがるような、最高級品なのだ、というのです。
上手く作った言葉遊びのような気もします。

でも、好奇心旺盛な、しかも権力を持っていた織田信長が蘭奢待を欲しがったのは、事実です。東大寺へ強引におしかけて、切り取ったのでした。
織田信長が切り取った箇所には付箋が付けられていて、それが現在まで残っています。

 

日本の香りのお話

正倉院には、多くの香木が収められています。中国から渡来した貴重な文物ですから、保存するのは当然です。
でも、香木が重要なのは、単に珍しいからだけではありません。香木は、仏教と結びついているからなのです。

聖徳太子の頃から、日本では、祭政一致として、仏教が政治と結びついていました。
仏教の重要なイベントは法会であり、法会には読経とともに供香があります。それで、香木が必需品になったのです。
そして、有力な寺はもとより、朝廷自体が香木を管理するようになり、政府機関の1つとして御香所が出来ました。

御香所は政府機関ですから、香木をしっかりと管理しなければなりません。
そこからスタートして。種々の香木をブレンドして新しい香りを作る。それを次の世代に受け継がせるため、ルールを作る。ルール通りに修行をさせる。それを通して、教養を高め、心身を浄化し、人格の完成を目指す。
という、日本的な発達をして、香道が作られました。
香木のブレンドが、香道として確立したのは室町時代のことです。
御香所の責任者であった三条西実隆が、香道の創始者とされています。

室町時代には、禅宗が中国から入ってきました。
この禅をバックボーンとして、香道は、茶道や華道と同じような芸道の1つとして確立したのです。
禅という哲学、道という行動様式は、よほど日本人の性格に合ったのでしょうね。現在でも、脈々と受け継がれているのです。

 

資生堂の〈禅〉

昭和39年、東京オリンピックがあった年に、資生堂から〈禅〉という名前の香水が発売されました。

フローラル・フローラルのノートで、さわやかさと甘さは、やや控えめ。セクシーさが強くなっています。
ボトルは黒地で、秋の草花が金色で描かれています。現代風の蒔絵というデザインです。
日本的な優雅と幻想を体現した香水。資生堂の、渾身の作なのです。

現在では、ZENとして、資生堂の大きなブランドになっています。

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